2008年12月 6日 (土)

ベネチア大洪水

 ウィーン在住中に複数回訪れたベネチア。このブログでも何回か紹介させていただきました。

 以前から地球温暖化による潮位の上昇により存続の危機が噂されていましたが、なんとすんごいことが現実に起こってしまいました

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ネタ元記事(http://www.boston.com/bigpicture/2008/12/venice_under_water.html)によると、過去22年で最高、最近の歴史上4番目の洪水で、1.5m以上になっているようです。

 しかし、こんな時にでもやっぱ観光客は来るんですね。「せっかく来たんだし」というところでしょうか。記事によると、市長は来てほしくないと要請している一方、洪水自体はよくあることで市民は慣れっこのようではありますが・・・。

 いやはや。でもこういう時って、水が引いた後の方が大変でしょうね。まあ冬だから疫病や悪臭などの面ではまだましなのかな?

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2008年10月23日 (木)

パリ(その2)

せっかくだから、パリの写真をもう少し貼っておこう。

Pict00612 これは、下の記事の写真の方向から180°回転して撮ったもの。コンコルド広場の塔が遠く見えますね。




Pict0001 そのコンコルド広場の写真。夕暮れだったので、ちょっとイマイチですな。




Pict00542 シャンゼリゼ通り沿いの風景。プラタナスなんですかね?植物には絶望的に疎いので、間違っていたら御指摘ください。
しかし、無学丸出しではありますが、Champs Elyseesでシャンゼリゼとは読めないなぁ。

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2008年10月19日 (日)

パリに行って来た

 久しぶりの海外ネタ。
Pict00592_2  出張でパリに行って来ました。月曜出発の土曜帰国。まあよくあるパターンですかね。
 今は一頃から比べて為替レートが随分戻してきているので、助かりました(久しぶりに138円台で交換できたし)。
 ホテルは仕事先からも近いコンコルド広場のすぐそばのパリにしては比較的安くて設備もまあまあなところだったので、良かったです(それでもウィーンと比べると設備は古いし値段は3割以上高い感じ。パリってどうしてこうなんだろう)。
 とはいえ、風邪を引いたみたいで、胃腸を完全に壊してしまい、現地で丸2日間、絶食でした。帰ってきたら3㎏も痩せていて、ふらふらながらもある面超ラッキー♪
 パリ自体は実はあまり好きじゃないので、ウィーンと比べて大して楽しくないのですわ、これが。ま、仕事だからしょーがないんですが。

 しっかし、コンプライアンスとかいう大人の事情を考えると、こういった出張ネタをいったいどこまで書いていいもんやら全くわかりません。ウィーンから帰国した後も何回も海外出張に行ってネタもあるのですが、あとで怒られちゃうのもなんだしなあと書き込みを自重しているのが正直なところなわけです。住みにくい世の中になりましたね。

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2006年9月15日 (金)

【補完】ヨーロッパ死のロード その1 ヨーロッパに向かう

 2週間にわたり、ヨーロッパ出張することとなった。

 内容としては、パリで会議→ウィーンで会議→パリで会議→アヴィニョンで会議→パリで打ち合わせ という過密スケジュール。この1週間前まで中国(しかも成都)出張だったこともあり、行く前からへろへろ状態。

Pict0006  行く途中の飛行機の窓から。毎度のことながら、シベリアのこの風景は好きだなぁ。一度現地に行ってみたいと思っているんだけど、地面からみたらこのにょろにょろはわからないんでしょうね。

 

Pict0007  もう三日月湖とかできまくり。どうせ刻々と三日月湖ができたり川に飲み込まれたりしてるんだろから、いつまでたっても正確な地図とかできなさそうな気がする。

 

 もはや飛行機の中は寝るだけ。とにかく寝て少しでも体力回復&時差ぼけ予防をしなければ。あまりお酒は飲まないので、睡眠薬は欠かせません。

Pict0010  まずはパリCDGに到着。相変わらず汚い空港。どうしてもパリは好きになれない。

                                      (09.06.17補完)

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2006年5月21日 (日)

ランチを食べに外国まで行きましたのよ、おーっほっほ

 土曜日は知り合いのIさん家族と一緒に、ランチを食べにスロヴァキアの首都ブラティスラヴァに行ってきました。

 ブラティスラヴァまでは車で50分くらい。物価もウィーンに比べれば安いし、こんなことをやる意味があるわけです。

 ちなみにIさん、ご主人はオーストリアの人なのですが、日本を気に入ってくださり、日本人の奥さんと結婚されたのを機に日本国籍を取得。しっかりと漢字の名前も持っておられる日本語ぺらぺらのとてもおもしろい方です。

 レストランはCARIBIC'Sという、なぜかシーフード料理のお店。数年ぶりに生ガキを食いました。でもメインはレンガくらいの大きさの牛肉。根が貧乏性なもんで、同じ値段ならつい魚より肉を選んでしまいます。

 このレストランはサラダドレッシングからステーキまで、ほとんどのものをお客のテーブル脇で作ってくれます。手作りのシーザース・サラダ、めちゃうま。

Pict0003_29  デザートにチョコ・フォンデュを食ってみる。食う前はこんな気持ち悪そうなモノ絶対食うかと思っていたけど、実はうまかった♡こっちはチョコがおいしいし、甘みと苦みのバランスが絶品。甘いのが苦手な僕でも十分美味しく食べられました。

Pict0005_28  ちなみにこのレストラン、ブラティスラヴァでほとんど唯一の観光スポット、ブラティスラヴァ城の麓にあるんですが、結局そのままウィーンに戻りました。以前見たし、1度見れば十分なんだもん。

 帰りのパスポートコントロールで、僕の顔がパスポートの顔と違うと係官がにやにや笑いながら指摘しやがった。今はヒゲを生やしているからなあ。でも向こうは冗談のつもりでも、やっぱりパスコンの係官にそういうことを言われると緊張してしまい、真剣に言い訳をしてしまいました。

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南ボヘミア地方に行ってきた(その2)

 ということで、2日目。

 朝は小雨が降ったりやんだり。次の予定地もあるので、チェスキー・クルムロフ城はさっと見るだけにする。内部に入るにはツアーに参加しなきゃなので、時間節約の観点からお城の外縁部だけを見ることにする。

Pict0012_13  お城の空中回廊のような所から町を見渡す。とても小さくかわいい町。

 

 

 そそくさとお次に行く。目的地はフルボカという町。ここのお城はウィーンでもおなじみのシュヴァルツェンベルク家のもので、「チェコで一番きれいなお城」だそうな。

Pict0036_3Pict0025_7   町に着く。と、大きな教会があったので、習性上、中を覗かざるを得ない。なんかイタリアの教会っぽい感じ。

 

 お城は小高い丘(低めの山?)の頂上にあるので、車を麓に止めてえっちらおっちら歩かなきゃいかん。この頃には雨もすっかりやんで暑くなっていたのでちょっと大変。

Pict0034_6Pict0028_5   着く。お城はドイツ系のとんがりとんがりではなくイギリス系の形ですな。中はガイドツアーに入らないと見れない。でも英語のツアーは2時間近く待たなきゃだったので、すぐ出発するできるチェコ語のツアーに参加。でも、なーにを言ってるのかさっぱりわからん人々に1時間以上拘束されるというのは正直苦痛でした。

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2006年5月15日 (月)

南ボヘミア地方に行ってきた(その1)

 土日でチェコの南端部、南ボヘミア地方に行ってきました。

 南端部と行っても、先日御紹介(4月17日)のところはチェコの南東、今度はチェコの南西で、オーストリアのリンツ(Linz)までアウトバーンで行き、そこから一般道を真北に上がっていくルートになります。

 まず初めはチェスキー・クルムロフ。ここは世界遺産で、地球の歩き方によると「世界で最も美しい町のひとつ」だそうな。こういう記述を見ると毎度思ってしまうのだが、誰が最も美しい町のひとつと決めるんだろう。

Pict0020_7  さて、この町。ヴルタヴァ川がぎゅぎゅーっと湾曲しているところにある。一番最初に通るのがこのブディヨヴィツェ門。車一台通るのがやっとという狭さ。

 来るまでにふらふら寄り道をしていたので到着したのがもう夕方。門を通ってすぐのペンションに飛び込みで入る。トリプルベッド1泊朝食付きで1500コルナ(50ユーロちょっと)。とても清潔なペンションでした。

Pict0012_12    1分も歩くとチェスキー・クルムロフ城の入り口、「赤い門」。でも城の中は翌日にして街中の観光をする。町自体はとても小さく、端から端まで30分もあれば行けてしまう。

 

Pict0028_4Pict0021_7 ちょっと離れたところからのお城。お城の壁面の彫刻やでこぼこは実はニセモノで、絵が描いてある。なんかちょっとがっかり。

 

 

Pict0030_4  これが聖ヴィート教会。残念ながら中には入れませんでしたが、こっちの方がお城よりも絵になる。

 

Pict0037_2  お城は夜がきれいとのことなので、晩ご飯を食べてペンションで一休みしてまた出かけることにする。食事はウィーンより3割くらい安い感じ。あとチェコビールがうまいのなんのって。特に黒ビールがギネスのように重くなく、コクがあるのにキレがあるって感じ。夜になるとお城はライトアップされるわけね。これは街中からではなくて遠くから見た方がきれいなのかも。

 ということで、2日目の様子はまた次の記事で。

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2006年4月24日 (月)

ハンガリーに行った・・・けど

 えーっと、今週は月曜日がイースターマンデーで休日、火曜日出勤の後、水木金と休暇をとって、ハンガリーに行ってしまいました。同僚の皆さん、すいません(涙)

 まずは国境に行かなくちゃね。実はハンガリーは初めてだったのですが、ブダペストに行くのはとても便利ということがわかった。だって、ウィーンとブダペストが高速道路でつながっていて、約3時間で行けるから。周辺国の首都への行き方と比べると、まあスロバキアのブラティスラバまでは時間的には1時間で行けますが、高速が途中で途切れていて、そこが街灯もない田舎道だったりするのがちょっといやだし、チェコのプラハに至っては5時間位かかる上、高速も途切れているので、ブダペストとは比べものにならない。

Pict0012_11  パスポートコントロールを越える。チェコやスロバキアと違い、ゲートが3つほど開いていて、渋滞はまったくなし。おまけに係官もていねい。これも高評価ですな。なお、この前のチェコと同様、出入国スタンプは全くなし。

 

Pict0015_9Pict0019_10   一番始めはハンガリー西部にあるリゾート地、バラトン湖に向かう。途中は広大な田園地帯。時々雑木林がある。実は僕は雑木林が大好き。時々車を止めて中に立ち入ってみる。とても気が休まる。

 ま、そんなこんなでのんびりと進んでいたので、バラトン湖に着いたのは夕方。観光は明日だな、と思っていると、翌日は雨。イカス!ということで、写真はなし。何をしに行ったのかよくわからん。

 雨の中、ブダペストに向かう。妻の今回の主目的は温泉に入ることであり、ホテルも温泉とつながっている所を予約していた。ホテルに到着するなり、どこへも行かずに速攻で温泉へ。雨も降っているし、まあ良しとするか。夕方から現地在住の知り合いと夕食。よって写真なし。

 ちなみに温泉、男は前掛けみたいなのを下腹部にかけて入るという、ほとんど裸エプロン状態なのですが、周りは肥えたおっさんばかしなので気持ち悪く、かつ若干身の危険を感じてしまうわけです。温泉によっては夜などはその筋の方達の発展場となっているようですし、何も知らぬ小柄な日本人は結構危険だと本で読んだことがあります。ま、僕は体がデカイので、集団でどうにかされない限りどうにかされない自信はありますが。

 翌日も朝から温泉。僕は市内を観光したかったのだが、既に1年前に来ている妻は観光する気なし。仕方なしに、ホテルのすぐ横にあるゲッレールトの丘にだけ登ることにする。そうか、夫婦間で観光の機会不均等があると、こうなるのか。

Pict0010_13Pict10013_1Pict10019Pict10015   この丘はドナウ川の真ん前にあるだけあって、ものすごい眺望(川の手前がブダ、向こう側がペストです)。標高235メートルとはいえ、頂上まで登るのは結構しんどい。頂上には第2次大戦後、ソ連軍が建てたプロパガンダ像、シュロの葉を持つ女神がそびえる。

 余談ですが、頂上におみやげ物屋さんがたくさんあったのですが、そのうち1軒が旧ソ連軍や共産時代のハンガリーの制服や勲章なんかをたくさん売っていて、その筋の好き者である僕としては触手が伸びかかりましたが何とかこらえ、結局ハンガリー共産党と各国共産党との友好記念切手集(ユーロ換算で5ユーロ)でお茶を濁しました(これもこれで好き者には堪えられないモノではありますが)。

 下に降りると同時に土砂降りの雨。仕方なしにホテルのレストランで昼食。ハンガリーはフォアグラが有名らしく、ソテーを食ってみる。実は僕は今から10数年前、今とは違う会社で毎月1回フォアグラのソテーを大量に食わなきゃいかん不思議な仕事を1年以上していたことがあり、それ以来フォアグラ恐怖症になっていたのですが、こいつはうまい。しかも安い。ユーロ換算で12ユーロ弱だったでしょうか。もともと安いにの加え通貨フォリントの対ユーロ価値の下落で、お得感が増大でした。

 食事も済んで、なんとなく帰ることに。でも考えてみると、ハンガリーに来て丘に登っただけじゃん!欲求不満感が強かったので、高速を途中で降りて、ショプロンを通ってオーストリアに入ろうということになった。このショプロン、ベルリンの壁崩壊を引き起こす「汎ヨーロッパ・ピクニック」というとぼけた名前の重大事件の起こった場所で、一度行きたかったんですよね(汎ヨーロッパ・ピクニックについてはwikipediaに詳しく書かれています)。

Pict0029_3  ジェールで高速を降り、一般道でショプロンを目指す。ハンガリー人は一般道でもガンガン飛ばすので恐ろしい。こっちもかなりのスピードで走ったけど、なんかいつまで経っても着かない。うんざりしてきたところでフェルトゥードという街に着く。ここにはエステルハージ宮殿という小貴族から成り上がった家の宮殿がある。きれいではありますがね。地球の歩き方にはハンガリーのベルサイユと書かれており、それはいくらなんでもちょっとあれじゃない?という感じ。

 なんか疲れたので結局ショプロンは素通りしてオーストリアに帰国。おまけにアウトバーンA2線が途中で通行止めのため大渋滞。4時間もはまってしまいました。

 結局なんか外国に行った気がしない旅行でした。

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2006年3月13日 (月)

天国と地獄

 皆さんは「世界各国天国と地獄の組み合わせ」という話を聞いたことがおありだろうか?

 僕が知っているのはこういうやつ。

天国:アメリカ人並の給料をもらい、イギリス人の家に住み、日本人の奥さんをもらい、中 国人の料理を食う

地獄:中国人並の給料をもらい、日本人の家に住み、アメリカ人の奥さんをもらい、イギリス人の料理を食う

 一部首をひねらざるを得ない部分(さて、どこでしょう)もあるけど、まあ聞いた話として。

 この前、うちの外国人スタッフと話をしていて、実はこれにはヨーロッパ版があることを発見。やっぱりどこの人間でも考えることは一緒なんですね。

 それによると・・・

天国:警官がイギリス人で、電気製品がドイツ製で、シェフがフランス人で、恋人がイタリア人で、これらのアレンジをスイス人がやっているような国。

地獄:警官がドイツ人で、電気製品がフランス製で、シェフがイギリス人で、恋人がスイス人で、これらのアレンジをイタリア人がやっているような国。

 警官の所は、要は違反をしてもイギリス人警官だと見逃してくれるけどドイツ人警官は絶対見逃さない、ということらしいです。

 あと、スイス人の恋人って最悪なんですかね?

 僕の知っているのとヨーロッパ版で共通しているのは、イギリスの料理はまずい、ということ。そこまでひどいかなあ。ま、確かにバリエーションは少ない気がしますけどね。

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2006年2月24日 (金)

ベネチアのカーニバルに行く(最終回・3日目)

 一つのネタであんまり引っ張りすぎるのもいかがなもんかという気もするので、これで最終回。

《前回までのあらすじ》

 ベネチア訪問中に謎の覆面集団に襲われたゆわぐい。その戦いの最中、真の覚醒を果たす。己の本当の力を目の当たりにして戸惑いつつ、最後の戦いに挑むが、そこには・・・。

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 さすがにコスプレ見物には飽きたので、最終日はベネチアから自動車で30分ほどの所にあるトレビソ(Treviso)に立ち寄る。

Pict0005_26  ここはベネチアほどではないが、運河で囲まれた比較的小さな落ち着いた街。

 

Pict0001_27  車を中心部の駐車場に止める。すぐ横に大きなモニュメントが。

 

 

Pict0003_27  とことこ歩いてみる。ふと見た民家がなんとなく日本的な感じ。性格的には正反対だけど、感性的には実はイタリアと日本って相通ずるところがあるのかな?麺の硬さを気にするのはイタリア人と日本人だけだってよく言われるし(あまり関係ないか)。

Pict0004_17Pict0025_3   細い路地がたくさん。この辺はやはりイタリア。

 

 

 

Pict0006_19Pict0007_16   一番大きな教会に行ってみる。中はとてもシンプル。きんきらきんの絢爛豪華なウィーンの教会を見慣れると、ちょっと物足りない気もするけど、これはこれでよろしい。

 

Pict0016_7Pict0023_4   大きな建物はトレビソ県の県庁舎。そのすぐ横にはベネトンのお店。トレビソはセリエAのチームでも有名ですが、ベネトンの本拠地らしいですね。新旧の建物が調和してしまう街でした。

 ちなみに、県庁舎から歩いて数分のところにあるイタメシ屋さん、最高に美味しかった♡

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2006年2月23日 (木)

ベネチアのカーニバルに行く(その3・2日目)

 さて、2日目。

Pict0002_20Pict0003_26   朝起きてみるとすごい霧。教会も街中もすっかり霞んでいます。

  

 

 

Pict0003bw  街中の写真、せっかくの霧なんで白黒にしてみると雰囲気が出るかなぁとスケベ心を起こして加工してみるとこんな感じ。大した効果がないなあ。

 

Pict0004_16  ついでにメストレのホテル周辺を散歩してみる。霧の中を日曜ミサに向かう人々。やはりお年寄りが多いのだが、みんなちゃんと着飾っていて、この辺がヨーロッパだなぁ。

 

Pict0005_25  普通の民家の塀にこんなのを見つける。ヨーロッパってマリア信仰がとても強い気がするのですが、なぜでしょ?でもちゃんと新しいきれいな花が生けてあるのが大切にされている証ですね。

 

Pict0029_2  ベネチア市街に向かう。やはりこっちも霧。サン・マルコ寺院も霞んでいます。

 

Pict0007_15  ゴンドラがお客のお越しを心よりお待ちしております。

 

 

Pict0008_16Pict0013_3Pict0017_8Pict0018_5     相変わらず山ほど仮面系の人が。

 

 

 

Pict0021_4Pict0024_3   その一方で、仮面でも何でもない単なる変な格好の人もいて、これはこれで楽しい。左の写真の人はゴッホなんですかね?

 

 

Pict0014_9Pict0072   また、子供の変装もある。かわいいなぁ。ヨーロッパの子供って、本当に天使みたい。どうして大人になると可愛さのカケラも残らなくなるんだろう?

 この辺まで来てハタと気が付いたのですが、要はベネチアのカーニバルって、コスプレ大会?まあ萌え系じゃないけど、これで同人誌でも売っていたらコミケと変わりがないんじゃないかと。

Pict0046_1Pict0047_3   さすがに変装を見るのも食傷気味。街中をぶらつくことにする。細ーい路地や水路が縦横無尽に広がる。

 

 

 ゴンドラに乗ってみる。今回は友人家族と一緒に来ていて、大人4人、子供2人、赤ちゃん1人の構成。値段を聞いてみると30分100ユーロという法外な値段。高いからやめると言うと、じゃあ80ユーロにする、人数が多いからこれで勘弁してくれ、とのこと。もっと値切れる気もしたが、確かに人数が多いので、これで良しとする。もうこの辺の値段交渉って、一種の様式美ですな。値切らないと相手も気持ち悪かったりして。

Pict0052_1Pict0064Pict0067Pict0068_1     ゴンドラは水面を音もなく進む。大きな橋はリアルト橋。橋のたもとで大勢の人が騒いでいる。なんだろと思っていると、ゴンドラの船頭さんが水に落っこちていて、その巨体のせいか水が冷たくて体力を消耗したせいか(たぶんりょうほうだろう)、なかなか陸に上がれないでもがいている。そうこうしているうちに警察のボート(パトボートって言うんですかね?)も登場。かっくいい!しばらくしてやっと上陸成功。しかし船頭が落ちるとは・・・。

Pict0050_1Pict0077_1   あっという間に夕方。サン・マルコ寺院が夕陽に照らされている。

 

Pict0078  あっという間に夜。旧政庁の夜景。

 

 

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2006年2月22日 (水)

ベネチアのカーニバルに行く(その2・初日)

 さて、午後4時頃、無事ホテルに到着。とはいっても、ホテルはベネチアの街中ではなく、隣町のメストレ(Mestre)に。だって、街中だとうるさいし、そんで車は街の入り口で強制的に駐車場に入れさせられる(中心部には入れない)し、そんで駐車代がまた高いんだ、これが。つづめて言うと、要は街中のホテルは高い、と。みんな貧乏が悪いんです。ぢっと手を見る私。

Pict0005_23  ホテルのすぐそばには大きな教会が。この教会、毎朝7時に大音量で、かつ長時間鐘を鳴らすのが非常に厳しい。罰当たりですが、正直言って安眠妨害。

 

 

Pict0006_15  そのそばの様子。やはりイタリアでも北イタリアはなんか整然としていて心が安まります。

 

Pict0009_10  休む間もなくベネチア市街に。一番の中心部、サン・マルコ広場に着く頃にはすっかり真っ暗。仮面のお祭りらしく、露店には山ほど毒々しい色彩の仮面が売っていて、ちと怖い。

 

Pict0011_8  さて、広場に入っていく。ここぞとばかり気合いの入った仮装職人がいて、写真モデルになっている。これが快感なんだろーなー、この人達。

 

 

 

Pict0016_6  所々で散発的にイベントが発生する。これはなんか仮装マーチングバンドが演奏していて、それを取り囲む群衆の図。この後広場を一周してました。

 

Pict0020_5Pict0023_3   夜のサン・マルコ広場。右の写真は旧政庁。夜はきれいですな。カメラが故障中なので手ぶれ補正が使えない。手ぶれしないようにするのが本当に大変なのですが(でもやっぱりぶれてます。三脚を使わないとだめっすね)。

 続きはまた明日。明日はちょっと写真多めかな?

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2006年2月21日 (火)

ベネチアのカーニバルに行く(その1・オーストリアとイタリアの国境)

 ということで、ベネチアのカーニバルに行ってきました。

 ウィーンからはずーっとアウトバーンで行ける。ルートはウィーン→グラーツ(Graz)→クラーゲンフルト(Klagenfurt)→国境→ウーディネ(Udine)→ベネチアという感じ。

 まずはEUになってから(正確にはシェンゲン協定国同士では)国境がどうなっているかを御紹介しましょう。

Pict0001_24Pict0003_24   これが国境。高速道路の走行車線では当然写真は撮れないので、側道で撮っています。たぶんこの紅白のだんだらが国境線ではないか、と。だんだらの向こうに青い看板でイタリアと書いてある。青い看板のところにイタリアの警察と税関の小さなオフィスが一応ありますが、人がいる気配があまりないです。

 とまあこんな感じで、国境のラインがあるわけでもなく、当然ゲートもパスポートコントロールがあるわけでもなく、走行車線では猛スピードで国境を越えられます。往来する観点では「国」という概念が限りなく希薄になっています。

 とはいっても、これはシェンゲン協定に加盟している(加盟が認められている)国同士の話。例えば、EUに加盟が認められたチェコやスロバキアなどはいまだにシェンゲン協定には入っていません。むしろ旧東側の人件費の安い労働者が山ほど入ってくるのを恐れた西側諸国が協定加盟を認められていないというのがより正確なんでしょう。ですから、オーストリアとチェコやスロバキアとの間には同じEU国でありながらパスポートコントロールがあり、国境を越えるまで行列をしなければなりません。

 この日はウィーンは非常に暖かな日でしたが、国境は山奥にあるのでみぞれが降っていました。

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2006年2月11日 (土)

世界一物価の高い都市

 10日ほど前の話ですが、世界で最も物価の高い都市という調査で、ついに東京が1位から転落、オスロが王座(?)についたというニュースが流れましたね。今日はこの調査について一言。

 オスロの方が東京より物価高というこの結果については激しく同意です。

 それは、僕は去年の4月と6月にオスロにそれぞれ1週間以上出張に行って、身にしみたからです。僕はあるマニアックな国際会議の事務局をやっていて、その会議をホストしてくれる国に会議の下準備と本番と2回出張することになっているのです。去年はそれがオスロ。ちなみに一昨年はスウェーデンのヨーテボリ(Göteburg)でした。オスロ好きな方、オスロ在住の方には申し訳ないのですが、僕にとってオスロは実は極めて印象が薄い街で、ヨーテボリの方が余程強く印象に残っています。

Pict0007_14Pict0008_14   王宮。普通豪華絢爛になっているはずが、愛想も素っ気もない。前庭がだだっ広いテニスのクレーコートみたいな感じ。花くらい植えてもいいんじゃないだろうか。

 

Pict0003_20Pict0010_9   街中の一番の目抜き通り。この道をずーっと行くと王宮に出る。賑わってはいるが、おもしろくなかった。右の写真は王宮側から見たところ。

 

Pict0003_21  市庁舎。港の前にある。ノーベル平和賞の授与式が行われるところ。

 

 

 

Pict0002_17Pict0004_12Pict0005_21    街中の様子。夏はさすがに日が長い。というか長すぎる。夜10時を過ぎても余裕で明るい。

 

Pict0001_22  ちょっと郊外にあるスキージャンプ場。冬季オリンピックで使われたモノ。

 

Pict0003_19Pict0005_20Pict0009_8    山の上から海岸を見る。森と湖とフィヨルド。

 

 

 さて、観光案内はおしまいにして、オスロの物価。コカコーラ500ccのペットボトル1本、約400円。マクドナルドのなんとかセット、約1000円。ポップコーン1袋300円強。ホテルもバカ高い。一体何事が起きているのかと思いました。出張代からアシが出まくり。同行した外国人スタッフは「東京ってのは世界一物価が高いらしい(要は去年までのこの調査の知識ね)けど、オスロよりも高いってことか?」と恐怖におののいていました。もうこの時、東京がオスロより物価高なわけがないと確信しましたね。ヨーテボリも高かったですが、オスロの比ではないです。

 ちなみに、コカコーラの値段ってのは、各国の物価を比べる上で実は重要な指標なんですよ。あんなの、原材料は数円で、それに輸送費などの経費を上乗せして、後は各国の物価を勘案してよいしょっと値段を決めるわけですから。

 まあ、そんなことで、オスロは物価が高いなあとは思うのですが、でもね、この調査ってどれだけの意味があるんだろう?調査をやっているのはイギリスの研究所らしいですが、こいつらは一体この調査で何を言わんとしているのか皆目わからんのです。

 そもそも、物価が高いからといってそれがどういう意味を持つのかが不明なんです。物価が高いという言葉からはものすごくネガティブな感じしか伝わらないのですが、物価は高いけど便利で安全な都市と、物価は安いけど不便で危険な都市は一体どっちがいいのか、という問いかけにこの調査は何も答えていないのです。人間は物価だけで生きているわけではないのですから。

 違和感を覚える他の理由は、この調査はそれぞれの都市の事情を織り込んでいないのです。例えば日本は地震国です。建物を建てる場合は姉歯建築士以外の人に頼むと耐震設計・耐震建設という余計なコストがかかるわけです。こういうのを無視してまったく同列に並べたら、日本の住居コストが高くなるのは当たり前。重度の心臓病の患者とアフリカのマラソン選手を競争させたらどちらが早いかと言っているようなもの。それを偉そうに住居費が高いと言っても詮無きこと。確かに固定資産の値段の高さは企業の投資行動に影響を与えるでしょう。でも、それ以外にも、国民の教育水準とか治安の善し悪し、インフラの整備度合いなんかも重要な要素のハズ。そいつら全体を判断しないと意味がないと思うのですが、この調査はそれらの中のものすごい一部分を調査しているに過ぎないんですよね。それが全世界に波及していく。なんか不健全だなあ、と思ってしまいます。

 あと、この調査、「各都市で外国人が暮らす場合の生活費を指数化して比べた」とのことなのですが、そもそもここがわからない。外国人って、いったい誰?例えば日本では少なくともうどんは安いですわな。僕なんか忙しい時は富士そばの200円のうどんを毎日食べてましたわ。ってことは、東南アジア人や中国人のように麺類をよく食べる外国人ならば、安いうどんをたくさん食べれば食費は安いはず。ウィーンのうどんは安いのか?日本の5倍はします。うどん好きな人間が住むにはウィーンより日本の方がいいはずだぞ。それに一般的な食事でもウィーンの方が東京より全然高いですよ。一事が万事こんな感じ。いったいどんな趣向を持つどんな外国人がどんな生活をすることを想定しているのか、まったくわからない。住居費だって、ウィーンのアパート代は東京よりも絶対に高いです。ホテル代も同じです。でも土地を買うとなるとたぶん東京の方が絶対に高いでしょう。暮らすってのは、不動産を買って住むのか借りて住むのかで結果は全然違うはず。

 このあたりをはっきりさせないままに中途半端な調査をやって勝手に結果を発表をしやがって、結果として「東京は物価が高いから旅行に行くのはやめよう」なんてことになったら損害賠償請求ものだとおもうのですが、どんなもんでしょう?

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2006年1月 2日 (月)

無謀・ナポリまで車で行く(その3・ヴァチカンともう1回ローマ)

 起きてみると、昨日とは打って変わって快晴。帰る日に限ってこう。僕の人生こんなもんです。この日は僕がどうしても行きたかったヴァチカン市国をちょっと見て、お昼には出発というスケジュールを朝食中にたてる。

 ヴァチカン市国。小学生の時、学習地図帳で、ローマの中にある国で人口約1000人というのをいまだに覚えていて、いったいどういう国なんだろうとずーっと不思議に思っていたのだが、ようやく見ることができる。気分は文通相手にご対面のいがぐり坊主である。

 バスに乗り、サン・ピエトロ広場に到着。ローマのバスって、他の人に聞かないといつ降りればいいか全然わからない。車内メッセージの出ないバスが大部分じゃないかいな。当然のように、イタリアとの国境みたいなものはない。

Pict0005_11Pict0009_2   快晴の空の下、神々しいサン・ピエトロ寺院。宗教面での意見は後日別途書きますが、僕はキリスト教に結構否定的。それでも思わず感動の声が出る。

 

Pict0008_8  広場の警察車両。環境に優しい電気自動車でしたが、警官の腰には犯罪者に優しくない拳銃がしっかり。

 

Pict0020_4  ヴァチカンのスイス人衛兵。ピエロみたいな服をイメージしていたけど、冬服は割と地味なのね。ミケランジェロのデザインという話ですが、本当なんでしょうか?スイスというと平和のシンボルっぽく思われていますが、実は結構血なまぐさく、特に昔は傭兵くらいしかお金を稼ぐ術がなかったと聞きます。ある戦いではスイス人傭兵部隊同士が戦ったとか。戦わなければ食べていけないから一生懸命戦い、それが勇猛果敢と評価され、16世紀からローマ教皇領はスイス人傭兵を使い始め、現在に至るわけです。

 ちなみに、スイスは軍隊を持ち、かつ徴兵制です。一家に一丁は拳銃があるくらいの国です。一般にはあまり知られていませんが、なんと核武装を進めていた国でもあります(http://www.jnc.go.jp/kaihatu/hukaku/database/kiji9808/05-j.htmlを参照)。日本では昔(今でも)、一部の理想的平和主義者が非武装中立とスイス型永世中立を(意図的に)混同していたようですが、「非武装中立」とスイス型永世中立とは全く異なる概念です。スイスは、また永世中立は、平和のシンボルでも何でもありません。 

Pict0021_1Pict0031_3  昨日までの雨に同じくというか僕よりも怒っていた妻が「やっぱりスペイン階段を晴れた日に見て階段に座りたい」というご無体な御要望。結局、スペイン階段→四大河の噴水→トレビの泉→パンテオンと、昨日のコロッセオを除いた部分を逆回りすることに。トレビの泉は水を抜いてお掃除中?中はこうなっていたのか。

 ということで、ローマを15:30に出発。予定より4時間近く遅れているのはなぜじゃ。いいんだ、いいんです。ずーっとミッドナイトドライブすることになっても、僕一人が苦労すれば。フィレンツェの手前で渋滞に巻き込まれたり、ボローニャのインターチェンジで向かうべきベネチア方面に乗れずにミラノ方面にいってしまったり(だって、行き先がベネチアじゃなくてパドヴァとかマイナーな書き方だったんだもん!)して、さらに余計な時間を浪費。イタリア国境を越えた段階で夜中の1時過ぎ。とほほ。ただ、フィレンツェの先で危うく追突事故を起こしそうになり(カーブの先で小渋滞という危険なパターン。ABSフル稼働でなんとか難を逃れる)、その余韻でイタリア国内は眠気来ず。

 オーストリアに入って山間部を走っていると、急に車内が寒くなる。すわヒーターが故障?と思いきや、温度計を見ると、なんと外気温マイナス19℃の表示。なんじゃこりゃ!?フィンランドのオーロラ旅行の時がマイナス25℃で死にそうだったのに、それに次ぐ寒さ。たぶんバナナで釘が打てちゃうかも。もうこの頃にはかなりの睡魔が「うふふふ、いらっしゃい。気持ちいいわよ」とクーリングオフ不能の大御招待キャンペーン実施中。短時間仮眠をとりたかったのだけど、これじゃおちおち止まれない。せめてマイナス一桁のところまで行かないと。さらに2時間うつらうつらしながら走り、ようやく30分仮眠。元気を回復し、再度走り出す。メロスよ、あなたもこんな気分だったのか?朝5時半、ようやく家に到着。締めて休憩2回を入れて14時間、走行距離1250㎞。本当に長かったっす。

 総合計走行距離は2900㎞。使った燃料は満タン(70リットル)2回半弱くらい。燃費の良いディーゼルだからこその業。

 最後に半ば自分向けのイタリア旅行の教訓。

①やはりスリはいっぱいいる。バスの中で2回騒ぎになったし、1回は自分で目撃している。リュックサックは前抱え、財布はズボンの前ポケット(特にスラックス系の横ポケットではなく、ジーンズにような完全な前で、出すのが窮屈なのがいい)、その上で膝まであるロングコートを着るとほぼ完璧ではないか(当然、コートのポケットには何も入れない)。1回明らかにスリな人がバスで僕を狙っていたけど、完全勝利だった。ま、冬限定ですけどね。

②レストラン選びはかなり重要な要素だが、「地球の歩き方」に載っているところは基本的にハズレがない。逆に、載っていないところは当たりはずれがある。ナポリのレストランでは当初客が全員日本人という、なんだかなあという状況ではあったけど、結局は味・ボリューム・値段ともに大満足。ローマでは適当に入った店が大失敗。「地球の歩き方」どおりに行動をするのに抵抗を覚える人も多かろう(自分もそう)が、それから卒業するのは2回目以降がいいような気がする。

③ナポリまでウィーンから車でいくのはうまいこと計画しないとひどい結果となる。特に、ローマから途中宿泊なしで帰るのは無謀。イタリア人の運転マナーのひどさは天下一品。それは高速道路でも同じ。一般道では気合いで突っ込めばいいけど、高速道では命に関わる。倍疲れる。

①にしろ②にしろ、結局僕ら日本人は異邦人なんだし、格好よりは結果じゃないでしょうか。

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2006年1月 1日 (日)

無謀・ナポリまで車で行く(その2・ローマ)

 サンタ・ルチアを見た後、そのままローマに向かう。この辺が自家用車での旅行の融通が利くところ。

 ・・・とはいえ、ローマに着いてからホテルが見つからない!ガソリンスタンドのおにいちゃんとかそこいらを行くおっさんに聞いてもわからないのゼスチュアだけ。業を煮やして、「ここは絶対駐車禁止」という所に車を止めたら速攻で来た警官に聞くという捨て身の攻撃に出る。それでもやっぱりよくわかんない。おまいは警官か!でも、なーんとなくあっちのほうかもという方向に延々進み、またまた捕まえた運送会社のおっさん(初めて英語がカタコト話せる人間発見!イタリア人って、日本人以上に英語教育が遅れているんじゃないだろうか?)に教えてもらって、かろうじて到着。約4時間とその分の燃料と神経を浪費。

 ローマも1泊目・2泊目が雨。神(ローマだから、間違いなくキリストだろう。宗教としたらやっぱりカソリックだろう!)が我々を邪魔している意志を感じる。雨なのだが、傘は車にたまたま積んでいた(かなりの4次元ポケット状態。バスタオルや革靴なども発見)1本のみ。私はダッフルコートのフードをかぶり、それはそれで修道士っぽく見えたのではないだろうか(否)。このような妨害はあれども、見るところは見ましたよ。

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Pict0011_2Pict0012_4  ご存じパンテオン。地球の歩き方によると、「直径9mの天窓が開き、差し込む光がモザイクの床を照らし、荘厳な雰囲気」とのことだが、雨の日はただ雨が降り込んで床が濡れるだけ。このような中、日本人カップルが結婚式をやっていた。ただ、このカップルとは真実の口のところでもう一度見た。単に衣装を着て写真を撮るだけだったのか?

Pict0019_1Pict0022_1   お次がトレビの泉。雨なので人出はあまり多くない。しっかり後ろ向きでコインを投げましたよ(5セント玉ばっかし)。小銭がさばけてうれしい。

Pict0026 スペイン階段にも行きました。でも雨なので、だれも座っていない。

 

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Pict0033Pict0031_1   お次がコロッセオ。グラウンドにもなんだか構造物があるので一体どこで競技をしていたのか不思議だったが、ガイドブックに昔は土がかぶっていたと子供が発見する。老いては子に従え。コロッセオのすぐ隣にコンスタンティヌス帝の凱旋門が雨に濡れている。もはやこのころから土砂降り状態。

Pict0040  ほんで最後に真実の口。口に手を突っ込んで写真を撮るために多くの人々が並んでいる。昔は排水溝のふただったんでしょ?

 寒い雨の中かなり歩いたので、もはや限界。僕のダッフルコートも雨をしっかり吸い込んで重いったらありゃしない。もはや街中でご飯を食べる気力もなくバスに乗ってホテルに引き上げました。

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無謀・ナポリまで車で行く(その1・ナポリ)

 いやいやいや、ナポリまで自動車で行きましたよ。貧乏人はじっと手を見ながら体を使うわけです。

 まず初日はフィレンツェで1泊。実はフィレンツェは既に来ており、朝6時ウィーン出発・午後4時フィレンツェ到着の10時間ドライブで疲れていることから、私は観光することなくベッドに倒れ伏す。ということで、フィレンツェについての記事はなし。ただ思うに、フィレンツェあたりが日本人にとっては一番快適なのかもしれない。ドイツ的な文化もそれなりに浸透しており、イタリアの中ではそれなりに秩序が保たれているから。あと、個人的には大学の時に入り浸っていたレストラン兼喫茶店(社長兼店長はなんと高校の大先輩)がフィレンツェという名前だったこともあり、なかなか好きな街。イタリアンも当然おいしいしね。

Pict0010_4Pict0016_1   翌日、ナポリまで行く。着いたらなんと大雨。雷は鳴るし風もものすごい。神はなぜ貧乏人にここまで鞭打つのか。高速の出口から中心部までがスラム街かと思うばかりのひどさ。道は穴ぼこだらけの水たまり、ゴミは散乱、壊れた自動車は道をふさぐ。どこにもこういう所はあるんだねなどと話をしていたら、街全体がこんな感じだった!昔タイにODA関係の仕事で数週間出張に行ったことがあったけど、タイより全然ひどい。なんというか、古代の都市にいい加減な後世の人間が寄生して好き勝手をしているというか、街自体も自浄作用を失った汚物垂れ流しの醜い老生物がのたうち回っているという感じ。この町、もう少し都市衛生面に投資するか住民の意識を変えないとまもなく滅びるのではないか。正直幻滅しました。とはいえ、ここのイタメシは最高。安いわうまいわ(スパゲティ・ナポリタンはなかった)。まあ、こういう所なんでしょうな。下町っていうか。これを許せる人ははまると思われますが、残念ながら僕はちょっと、ね。だって僕はノーブルだから。

 

Pict0019Pict0020_3   翌日、サンタ・ルチア地区に行く。ここは中心部からはちょこっと遠く、当然海っぺり。この辺は町並みもきれい。要は日本の地方都市みたく、中心部は放棄され、郊外に投資が進むという感じなんでしょうか?右の写真は卵城です。卵でできているのか?それとも地下に卵の秘密生産基地があるのか、はたまたハンプティ・ダンプティがいたところなのか?由来をどなたか教えてちょ!

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2005年12月17日 (土)

リヒテンシュタイン、ノイシュヴァンシュタイン城

 最近、寒いだけじゃなくてものすごい風なので到底外出することもできず、結果としておもしろい記事が書けない(言い訳)。ということで、10月の末に行ったリヒテンシュタイン周辺について書くことにする。

 今回の旅はオーストリア最西端の町、フェルトキルヒ(Feldkirch)まで行き、そこからリヒテンシュタインに入り、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城を見て帰るというもの。うちの家族と私の勤務先の同僚1名の旅。

Pict0016  今までほとんど電車に乗って遠出したことがなかったので、今回は車を列車に乗せ、人間様は寝台車で行くことにした。西方面の長距離列車はウィーン西駅(Westbahnhof)から出る。料金は結構高い。大人3人と子供1名で自動車分も合わせ、400ユーロ近かった。

Pict0013  車をカートレインに載せたところ。ナンバープレートを墨塗りしてあるのが僕の車。幅が結構狭く、結構スリリング。寝台車両はこの前方に連結されている。

 

Pict0002_6  途中、ドルンビルン(Dornbirn)を通過する(写真ボケボケですんません)。ここはゴルゴ13が中国の亡命高官を狙撃した時に車に乗り換えた駅だ(文庫版だと第3巻、「狙撃のGT」参照)。同じ線路を私は観光に行く。

Pict0005_3  約9時間でフェルトキルヒに到着。静かで小さな駅。そこから10分で国境。パスポートを見せ、無事リヒテンシュタインに入国!本当は国境の検問所の写真を撮れば良いのだろうが、どうも恐ろしくて撮れない。

 

Pict00071  そこから10分でシャーン(Schaan)という町に到着。頭の中を新造人間キャシャーンという昔のアニメのタイトルがよぎる。シャーンに限らず、リヒテンシュタインという国は山脈と山脈の間の細長い盆地のような土地なので、すぐ間近に高い山がそびえ、威圧される。街中をちょっと散歩していると、「あいのり」とかいうくだらない番組の派手なマイクロバスが目の前を通り過ぎる。嫁さんと勤務先の同行者はきゃーきゃー騒いでいたが、何がうれしいのかさっぱり理解できない。

Pict0012_2Pict0015_2   そこからまた10分位走ると、首都ヴァドゥーツ(Vaduz)。ただ、市街地を見つけているうちにヴァドゥーツを縦断して通り過ぎてしまった。それくらい小さい首都。首都にも関わらず、至る所に牧草地があり、牛や羊が放牧されている。

Pict0020_1Pict0021   そのまま山の上まで一気に行ってみる。紅葉まっただ中。山頂に到着するとなんかとても雰囲気のある小さな教会を発見。勝手に中を見学。

 

Pict0032  山の上からのリヒテンシュタインの眺め。

 

 

Pict00351  ヴァドゥーツの目抜き通り。切手博物館や諸官庁などもこの通り沿いなのだが、なんとも寂しい。ここの人を歌舞伎町とかに連れて行くと発狂するんじゃないだろうか。

 

Pict0003_2Pict0004_1   シャーンで1泊。朝焼け。

 

 

 

                                        

Pict0007_5Pict0010   いつの間にかスイスに入ったり出たりしながら周辺をうろうろし、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城(Neuschwanstein)に向かう。途中、Sarganzという町で小さなお城に寄ってみた。マッチ箱のような町の小城主の居城だったんだろう。

Pict00021Pict0005_4   ノイシュヴァンシュタイン城のあるホーヘンシュヴァンガウ(Hohenschwangau)に到着。お城の見学にはチケットを買い、かつ見学時間を予約する必要がある。これで結構時間がかかるのだが、インターネットで予約ができる。日本からの観光の方は貴重な時間を浪費しないため、ネット予約をお勧めします(http://www.hohenschwangau.de/ticketcenter.0.html)。さてノイシュヴァンシュタイン城、シンデレラ城のモデルになったとおり、優雅な山城。なおこいつを建てたルードヴィッヒ2世は終生独身で、住んでからすぐに逮捕され、かつ禁治産処分となったそうな。

Pict0010_1  下まで降りてくる途中でホーヘンシュヴァンガウ城が見えた。こっちも見所らしいのだが、疲れたしちょっと地味なのでパス。

 帰りは自動車で一気にウィーンまで。お金もかからず、初めから車で来れば良かったと後悔。

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